過去の知が未来の政策を照らすとき ――初期近代科学史から宇宙・気候ガバナンスへ
researchmap ↗はじめに
AI、宇宙開発、気候変動。私たちは次々と「これまでにない問題」に直面しているように見える。しかし、そこで生じている問いそのものは、本当にまったく新しいのだろうか。
新しい技術が登場したとき、人はそれをどのように信頼するのか。まだルールのない領域が生まれたとき、誰が、どのようにルールをつくるのか。本研究は、歴史を手がかりに、こうした現代の問いを捉え直す試みである。
知はいかにして信頼されるのか
出発点には、科学史の研究がある。私の専門は17世紀の錬金術・化学・医学の歴史であり、博士論文では、植民地時代のアメリカからイングランドへ渡った医師で錬金術師のジョージ・スターキー(George Starkey, 1628–1665)を対象としている。科学者という職業も、科学とそれ以外を分ける境界線もまだ現代式での確立はしていなかった時代に、なぜある人の実験や主張は信頼され、別のものは退けられたのか。古い英語やラテン語の一次資料からその過程を読み解くと、「知識は、どのようにして人々に信頼され、社会を動かす力になるのか」という問いが浮かび上がる。これは17世紀に限られた問題ではない。AIが示す判断や、衛星から届くデータを前にした現代にも、まっすぐつながる問いである。
応用歴史学という方法
本研究の中心にあるのは、この問いを現代へ引き継ぐ「応用歴史学(Applied History)」の実践である。応用歴史学とは、簡単にいえば、過去を「未来を考えるための思考材料」として使う試みだ。政策決定者に向けて歴史の使い方を説いたニュースタットとメイの古典『Thinking in Time』(1986年)を源流に持ち、2016年のグレアム・アリソンとニーアル・ファーガソンによる「応用歴史学マニフェスト」を経て、近年、ハーバード・ケネディスクールのApplied History Projectを拠点に再興が進んでいる。2019年には、17世紀オランダに起源を持つ一流の学術出版社Brillから専門誌Journal of Applied Historyが創刊され、一つの学問領域としての制度化も始まった。
参照される歴史は、本来、特定の時代に限られない。海洋や極地の歴史、国際制度の歩みなど、問いに応じてさまざまな時代・地域の歴史を動員できる方法である。
ただし、「昔こうだったから、今回もこうなる」と過去をそのまま現代に当てはめるわけではない。似ているように見える過去の事例について、何が似ていて、何が違うのかを慎重に分析する。いまの制度や常識が、過去のどんな選択の積み重ねでできあがったのか、その道筋をたどる。そして「あのとき別の選択をしていたら?」と考えることで、いま見落とされている選択肢やリスクを浮かび上がらせる。歴史から正解を探すのではなく、現在について考えるための問いを増やす――それがこの方法の核心である。
ただし、この分野が実際にサンプルとして参照してきた歴史は、いまのところキューバ危機や冷戦といった近現代の外交史・安全保障史にほぼとどまっている。政策の言葉に翻訳しやすい「近い過去」が選ばれ、それより遠い時代は視野の外に置かれてきた。裏を返せば、応用歴史学は、前近代を専門とする歴史家がまだ本格的に取り組んでこなかった、未開拓の領域なのである。
しかし、科学技術のガバナンスを考えるためにこそ、参照すべき歴史は洋の東西を問わず、その時間軸は数世紀に拡大すべきだろう。本研究が足場とする17世紀は、実験や観測にもとづく知が社会的な信頼を獲得するしくみ――今日の「科学」の原型――が形づくられた時代である。言語も世界観も大きく異なる遠い過去を扱う訓練は、歴史を現代へ安易に当てはめることへの抑制としても働くだけでなく、規範の固まっていない現代のフロンティアを考えるうえで、気付き以上の事例を与える。前近代研究の専門性を携えて応用歴史学に取り組み、その射程を宇宙・気候という科学技術政策へと広げること――そこに本研究の独自の位置がある。
宇宙――海の歴史から考える
たとえば、宇宙空間の資源利用をめぐる国際ルールの設計を考えてみたい。技術開発は急速に進み、各国や企業の競争も激しい。「新しい問題なのだから、新しいルールを急いでつくらなければ」と考えたくなる状況である。
しかし人類はこれまでにも、一つの国家の枠組みでは扱いきれない空間をめぐって、秩序をつくる経験を重ねてきた。海洋、極地、空。誰に利用する権利があるのか、何を共有すべきか、自由な利用と規制をどう両立させるのか――さまざまな制度や考え方が生まれ、失敗し、修正されてきた。実際、現在の宇宙空間における「自由利用」という発想にも、海をめぐって練り上げられた「海の自由」との歴史的なつながりを見ることができる。
大切なのは、海の歴史をそのまま宇宙に当てはめることではない。海と宇宙では何が同じで、何が違うのか。過去の制度は誰に利益をもたらし、誰を排除したのか。選ばれなかった別の制度はあり得たのか。そう問い直すことで、目の前の選択肢だけを当然視せず、長い時間軸のなかで政策を考えられるようになる。
この問いが最も鋭く立ち上がる現場のひとつが、私が技術評価と同時に規範の成熟度評価指標に取り組んできた宇宙資源利用(ISRU: In-Situ Resource Utilization)である。月の水氷や土壌をその場で採取し、推進剤や建材へと変えるこの技術では、ルール作りのスピード以上に技術の成熟が加速している。宇宙条約は天体の国家による領有を禁じる一方、採取された資源の扱いについては多くを語らず、いくつかの国は国内法の整備で先行し始めた。公海の魚は獲った者のものか、深海底は人類の共同の財産か――海洋法が長く格闘してきた問いの構図が、ここで形を変えて再演されている。
気候――データと政策のあいだ
同じ発想は、気候変動にも応用できる。いまでは人工衛星によって、地球環境に関する膨大なデータが手に入る。しかし、データが存在することと、それによって人々の暮らしが守られることは、同じではない。似たような情報にアクセスできても、それを防災や気候適応の政策に結びつけられる社会と、そうでない社会がある。
その差を理解するには、最新技術だけを見ていても足りない。それぞれの社会がどんな制度や慣行を築き、どんな選択を重ねて現在に至ったのか――その歴史を見る必要がある。「なぜデータがあるのに政策に変わらないのか」という問いを、技術の不足とは別の角度から考えること。それが本研究のもう一つの柱である。
このデータと政策の継ぎ目を、私は衛星気候データのガバナンスをめぐる政策提言の執筆と、北極圏(ノルウェー)の衛星地上局インフラの調査を通じて、具体的に検討してきた。極域を回る衛星のデータの多くは、北極圏の地上局を経由して地球へ降りてくる。軌道の物理が特定の場所にデータの結節点をつくり、そのインフラを持つ社会と持たない社会のあいだに、依存と協力の関係が生まれる。かつて秩序形成が試みられた極地は、いま、宇宙のデータと地上の政策が出会う場所になっているのである。
むすび――未完の問いへ
現代社会では、速く答えを出すことが求められる。技術の進歩が速い領域ではなおさら、「未来に追いつくこと」に意識が向きがちである。しかし、未来について考えるとき、過去を見ること、つまり「歴史」が役に立つのだ。
科学史という過去を扱う学問と、宇宙や気候という未来に関わる政策課題を両輪とし、まだ答えのない問題について、より多くの可能性を残したまま考える方法をつくること。それが、本研究が向き合い続けたい「未完の問い」である。
