道徳は本当に有益なのか?――分断・暴力・対立を超えるための新しい倫理学の展開
researchmap ↗私たちは誰しも「人助けは善い」「人を殺すのは間違っている」といった道徳的信念(moral belief)をもって生きている。そして、古代から現代にいたるまで、哲学者も政治家も教育者も、道徳的信念は人々の行動をより協調的にさせ、平和に寄与すると想定してきた。すなわち、道徳は社会秩序の基盤であり、平和の実現に不可欠であるということはほとんど自明の前提としてきた。
しかし現代社会を見渡すとき、この前提には根本的な疑いが生じる。近年、世界各地で深刻化している政治的分断やイデオロギー的対立が深刻化しているが、これは単なる利害の衝突ではなく、まさに道徳的信念の衝突に起因していると指摘されている(Finkel et al. 2020; Garrett & Bankert 2020; Skitka et al. 2021)。すなわち、人が「これは道徳的に正しい」「あれは道徳的に間違っている」という確信をもって向かい合うとき、妥協や合意形成は心理的に困難になり、場合によってはその確信の対立が暴力的な衝突へと発展すると言われている(Skitka & Morgan 2014; Ryan 2017; Mooijman et al. 2018)。そのため、道徳は平和の手段であるどころか、対立の火種として機能しているのではないかという疑いが生じる。そこで本研究は、この懐疑的な現状認識から出発し、「道徳的信念は本当に必要なのか」というリサーチクエスチョンを立てるに至った。
本研究がこの問いに取り組むための理論的枠組みが、道徳廃止論(moral abolitionism)である。その系譜は、J・L・Mackieが『Ethics: Inventing Right and Wrong』(1977)にて提唱した道徳的錯誤説(moral error theory)という考え方に遡る。Mackieによれば、道徳的主張が真であるためには「主体の欲求から独立して無条件に行為を要求する客観的価値」が実在しなければならないが、そのような価値が自然界に存在すると考えるのは奇妙であるため、道徳的真理は存在しないと考えるのが合理的であるとされる。道徳的錯誤説はその後、様々な形で洗練され(Joyce 2001; 2024; Olson 2014; Cowie 2022)、近年は「道徳的真理が存在しないのなら、私たちはこれまでの道徳的な営みを今後どう扱うべきか」というNow What 問題への取り組みが盛んとなっている(Lutz 2014)。そして、この問いへの最も挑戦的な答えが道徳廃止論である。道徳廃止論は、Ian Hinckfuss(1987)による提唱以来、道徳的信念は真理を反映しないばかりか、「暴力の動因となる」「不平等を固定化する」「合意形成を妨げる」という点で社会に実害をもたらすと論じられてきた(Garner 2007; Ingram 2015; Morris 2025)。さらに、道徳的信念は一般に怒りや嫌悪、軽蔑といった強い否定的な感情を伴うという心理学的知見に基づき、道徳的信念の保持は本人の心理的ストレスを増大させるとも指摘されている(Marks 2013; Dockstader 2019)。そうして近年では特に、世界的に深刻化しつつある政治的分断を打開する妙案として、この立場は改めて注目されつつある(Morris 2025)。
しかし、道徳廃止論にはある程度の説得力が認められるものの、従来の道徳廃止論には重大な課題が残されている。第1に、道徳が有害かどうかは本来、経験的に確かめられるべき問題であるにもかかわらず、その議論は思弁的な考察にとどまってきた。例えば、道徳的信念が暴力の動因として働くと指摘されてはいるものの、なぜそのように働くのかという心理学的な説明が欠けている。第2に、哲学者の中には「道徳がなければ、協調性が保証できない」という直観が根強い(cf. Joyce 2001: 177, 215; Nolan et al. 2005: 307–312; Isserow 2019: 145 )。そのため、道徳廃止論が説得的な倫理学理論であるためには、道徳を手放してもそれらの恩恵を享受できると示すことが望ましい。しかしながら、そうした試みはほとんどなされてこなかった。
そこで本研究は、この2つの空白を埋めることを目指す。第1に、道徳心理学の知見を哲学的議論へ体系的に導入する。そこでは主に、道徳の負の側面に着目した「道徳のダークサイド研究(Workman et al. 2020; Decety et al. 2025)」に着目する。特に、道徳的確信と暴力的行為に関する関係を伝統的な道徳心理学的の枠組みから取り組むのみならず、「道徳的確信が政治的暴力を招く」ことを示す政治心理学(e.g. Mooijman et al. 2018)や、「道徳的確信と一致する暴力行為に対しては報酬系が活性化される」といった神経科学的知見(e.g. Workman et al. 2020)など、経験的知見を多方面から導入する。第2に、「道徳を捨てれば社会的協調が失われる」という最も根強い反論に理論的に応答する。そのために、本研究では、協調的な行為は自己利益の増大という実践合理性の観点から十分に正当化できることを論証する。そのために、本研究はゲーム理論や進化心理学を多く活用することで、自分の生存繁栄を含む自己利益を最大化するためには、協調的行為を選択することが合理的な戦略であることを示す。これにより、道徳がなくても、自己利益に訴えることで、社会的協調性は損なわれないことを示す。
先行研究と比べたとき、本研究の新規性は次の点にある。すなわち、従来の道徳懐疑論が「善悪は存在するのか」といった存在論的懐疑や、「善悪を知ることはできるのか」といった認識論的な懐疑を中心としてきたのに対し、本研究は「道徳は有益か」という有益性への懐疑と、「道徳にしか果たせない役割があるか」という道徳の必要不可欠性への懐疑を展開する点である。これにより本研究は従来の道徳懐疑論研究とは一線を画す。
道徳廃止論の知見が社会に浸透した未来は、直観に反して、むしろ穏やかで協調的なものになるかもしれない。道徳なき世界は、無秩序な世界ではない。それは、道徳的確信という心理的な鎧を脱いだ人間たちが、互いの利益と生の充実を共有の基盤として、より率直に向き合う世界である。本研究が切り拓こうとしているのは、その未来へと至る知的な道筋にほかならない。
