どのように「死」の意味を取り戻すのか――英国モダニズム女性文学におけるdeathways、情動、日常性の研究
researchmap ↗本研究は、20世紀前半の英国モダニズム文学を手がかりとして、人々が「死」をどのように経験し、語り、意味づけてきたのかを明らかにするものである。対象とするのは、キャサリン・マンスフィールド、ヴァージニア・ウルフ、マリオン・ミルナーという3人の女性作家である。
近代以降、医療制度、病院、都市衛生、葬送制度などの発達によって、死はしだいに家庭や共同体の日常から切り離され、専門的な制度の中で扱われるようになった。これは人々の生命を守り、生活を安全にした一方で、死を直接目にしたり、死について語ったりする機会を減少させたとも考えられている。フィリップ・アリエスは近代西洋における「禁じられた死」を、ノルベルト・エリアスは近代社会における死にゆく者の孤独を論じた。
文学・思想の領域でも、ヴァルター・ベンヤミンは「物語作者」において、近代化とともに人から人へ経験を伝える力が衰退していくことを指摘し、その変化を死が共同体の中で持っていた意味の衰退と結びつけている。死が人々の日常から遠ざかることは、単に「死を見る機会が減る」というだけではなく、死を語り、他者へ受け渡し、そこから生の意味を考える文化的な回路そのものが弱くなることでもある。本研究が問うのは、まさにそのような近代社会において、文学が死を再び経験し、語りうるものにするために、どのような表現を生み出したのかという問題である。
本研究では、この死をめぐる文化的・情動的なあり方を捉えるために、 "deathways" という概念を用いる。Deathwaysとは、ある社会や共同体の中で、死がどのように経験され、語られ、表象され、意味づけられているのかを示す、死をめぐる文化的・情動的な様式である。
これまでモダニズム文学における死の研究では、第一次世界大戦の戦死者、国家的追悼、戦争の記憶など、大規模で公共的な死が多く論じられてきた。しかし、人が死と出会うのは、戦争のような非日常的な場面だけではない。家庭で病人を看取ること、妊娠や出産を通して身体の脆さを意識すること、街で見知らぬ死者と遭遇すること、あるいは何気ない日常の中で自分自身の有限性を感じることもまた、死との遭遇である。本研究は、これまで十分に理論化されてこなかった、こうした日常的・匿名的・身体的な死の経験に注目する。
第一に、キャサリン・マンスフィールドについては、家庭、子どもの知覚、妊娠・出産、身体の脆さ、見知らぬ死者との遭遇などに注目する。彼女の作品では、死は必ずしも劇的な事件として現れるのではなく、日常の中にふと入り込む違和感や身体感覚として描かれる。「前奏曲」(1918)や「湾にて」(1922)では、生と死が家庭生活や子どもの知覚、植民地的な自然環境の中で複雑に交差する。また、「見知らぬ者」(1921)や「園遊会」(1922)では、見知らぬ他者の死との遭遇が、生者の世界の見え方や、それまで自明であった社会的な関係を揺さぶる。本研究では、こうした「日常を裂く死との遭遇」が、どのような文学形式によって表現されているのかを考察する。
第二に、ヴァージニア・ウルフについては、『灯台へ』(1927)と『幕間』(1941)を中心に、死を人間の内面だけに限定せず、空間や自然環境との関係から分析する。『灯台へ』では、複数の登場人物の死が、残された人々の悲嘆としてのみ描かれるのではなく、人間の不在後も進行し続ける家の腐敗、風、光、植物などの変化の中に置かれている。『幕間』においても、第二次世界大戦前夜の不安や暴力の予感は、個々の人物の心理だけでなく、天候、大気、野外劇を取り巻く環境へと拡散していく。こうした表現を通して、死や喪失を個人の内面へ回収しないモダニズムの文学形式を明らかにする。
第三に、マリオン・ミルナーは、作家であると同時に精神分析家でもあり、自分自身の知覚や感情を継続的に観察した人物である。本研究では、その自己観察的・精神分析的著作を対象として、日常的知覚、無意識、攻撃性や破壊性と、死をめぐる感覚との関係を検討する。そこでは死は、外部で起こる出来事だけではなく、自我の統制が揺らぐことや、自らの内側にある破壊的な力に触れる経験とも関係している。
本研究が最終的に目指すのは、死を単に医療や葬送制度によって処理される出来事として捉えるのではなく、生者の日常、身体感覚、情動、他者や環境との関係の中で経験されるものとして捉え直すことである。現代社会においても、医療、介護、看取り、グリーフケアなど、死に関わる問題は多くの人にとって身近である。しかし、制度だけでは扱いきれない感情や経験も存在する。
文学は、医学のように死を遅らせることも、悲嘆そのものを取り除くこともできない。しかし、社会が語りにくいものや、個人が言葉にしにくい感覚に形を与え、他者へと受け渡すことはできる。ベンヤミンが問題にした「経験の伝達」という観点から見れば、文学は、近代化によって日常から遠ざけられた死を、再び共有可能な経験として考える場の一つであると言える。
本研究は、女性作家たちが描いた日常の死の経験を通して、誰の死が社会の中で語られ、誰の経験が見えにくくされてきたのかを問い直す。そして、死をただ遠ざけるのではなく、死とともに生きるための感覚や言葉を、文学から社会へと開いていくことを目指している。
