ミミズの名前から、自然の見方を考える 〜DNAと地域の記憶から探る、もう一つの「種」〜
researchmap ↗「このミミズは、何という名前ですか?」
「ミミズ」と聞くと、多くの人は、土の中にいる細長い生き物を思い浮かべるでしょう。けれども、少し視点を変えてみると、ミミズはとても不思議な存在です。
私たちは普段、動物や植物を「種」という単位で区別しています。例えば、図鑑を開けば「この生き物は○○という種です」と書かれています。しかし、その「種」という区切りは、本当に自然そのものが持っている境界なのでしょうか。
私が研究しているミミズは、まさにこの問いを考えるのに適した生き物です。
ミミズは、外見がよく似ている種類が多く、肉眼で見ただけでは区別することが難しい生き物です。そのため、現在の生物学では、体の細かな形態を調べたり、内部の生殖器官を観察したり、DNAを分析したりすることで、「どこからどこまでが同じ種なのか」を判断します。私自身もこれまで、ミミズの形態やDNAを調べながら、隠れた種や、これまで知られていなかった種の存在を明らかにする研究を行ってきました。
ところが、全国でミミズを調べていく中で、私は別の「種の分け方」に出会いました。
それは、地域の人々が昔から使ってきたミミズの名前です。
例えば、岐阜県では「テッポウミミズ」、三重県では「ナゴヤミミズ」といった地域独自の呼び方が存在します。こうした名前は、単なる「ミミズ」の別名として使われているとは限りません。「この特徴を持ったミミズを、この名前で呼ぶ」という、地域の人々なりの明確な識別がそこにはあります。
ここで、私には一つの疑問が生まれました。
科学者がDNAや顕微鏡を使って「同じ種・違う種」と判断するのと、地域の人々が長年の経験から「同じミミズ・違うミミズ」と判断するのでは、何が同じで、何が違うのでしょうか。
そして、もし両者が一致しなかったとしたら、どちらが「正しい」のでしょうか。
私は、地域の人々による分類を「科学的には間違った知識」として扱うのではなく、そこにも一つの独立した自然認識の体系があるのではないかと考えています。本研究では、それを「文化的種概念」として捉え、その仕組みを明らかにすることを目指します。
ミミズを通して、「人間は自然をどう見ているのか」を考える
この研究では、大きく三つのことを調べます。
まず、日本各地を訪れ、地域の人々がミミズをどのように呼び、どのような特徴によって見分けているのかを調べます。
「色が赤いから」「よく動くから」「雨の前に出てくるから」「田んぼにいるから」など、人々がミミズを見分けるときに使っている特徴は何なのか。また、その名前がどの世代から受け継がれているのか、農作業や季節、地域の伝承とどのように結びついているのかも記録します。インタビューやアンケート、実際の生活の中での観察を通じて、地域ごとの「ミミズの見方」を記録し、音声・映像・文章を組み合わせたデジタルアーカイブとして残していきます。
次に、地域の人が「これが○○ミミズだ」と指し示した、まさにそのミミズを科学的に調べます。
体の形を詳しく観察し、内部の構造を調べ、さらにDNAを分析します。そうすることで、地域の人々が「同じもの」として認識しているミミズが、科学的にも一つの種なのか、それとも複数の異なる種が含まれているのかを明らかにします。逆に、科学的には同じ種とされるミミズを、地域の人々が異なる名前で区別している可能性も調べます。
そして三つ目に、「人々は一体、何を見てミミズを区別しているのか」をさらに詳しく調べます。
例えば、ミミズの色、形、動き、生息場所、出てくる季節などを少しずつ変えた画像や動画を用意し、それを地域の人々に見てもらいます。「これは、あなたが○○と呼んでいるミミズですか?」と繰り返し尋ねることで、本人も意識していないような「ミミズを見分ける基準」を明らかにしていきます。最終的には、地域の呼び名、ミミズの形態、DNA、そして人々がミミズを認識する際の特徴を一つにつなげたデータベースを作ることを目指します。
なぜ、わざわざミミズなのか
これまで、生き物の民俗的な分類については、植物や鳥、哺乳類など、人々の目に入りやすい生き物を対象とした研究が多く行われてきました。
一方で、土の中に暮らし、普段はほとんど姿を見せないミミズのような生き物については、地域の人々がどのような分類体系を持っているのか、ほとんど明らかになっていません。つまり、ミミズは「人間と自然の関係」を考えるうえで、まだ研究されていない大きな空白なのです。
私自身、これまでミミズの分類学を研究する中で、「科学的な種」という枠組みだけでは説明しきれない生き物に何度も出会ってきました。その経験が、今回の研究につながっています。
科学は、自然を正確に理解するための強力な方法です。一方で、地域の人々が長い時間をかけて身につけてきた経験や感覚もまた、自然を理解するための重要な知識なのではないでしょうか。
この研究では、「科学か、地域の知識か」という二者択一をするのではありません。
DNAで見るミミズと、地域の人々の目で見るミミズ。その二つを同じ場所、同じ個体を通して重ね合わせることで、私たちが自然をどのように理解しているのかを考え直します。
「ミミズの名前」を残すことは、地域の記憶を残すこと
この研究から生まれるものは、論文やDNAデータだけではありません。
日本各地で使われてきたミミズの名前や、それにまつわる記憶、暮らし、農作業、季節の感覚などを記録することで、これまで文字として残されてこなかった地域の自然文化を未来へ残すことができます。
例えば、ある地域で「雨が降る前に出てくる赤いミミズ」に特別な名前が付けられていたとします。その名前には、単に生き物の特徴だけではなく、「雨」「土」「農作業」「季節」といった、その土地で暮らしてきた人々の経験が詰まっているかもしれません。
それは、単なる「方言」や「俗称」ではなく、その土地の人々が自然と関わってきた歴史そのものです。
だからこそ私は、ミミズの名前を記録することを、地域文化を記録することでもあると考えています。
将来的には、日本各地のミミズの呼び名や、その背景にある物語を誰でも見ることができる「ミミズ民俗データベース」へと発展させたいと考えています。地域の子どもたちが、自分たちの暮らす場所にどんなミミズの名前があるのかを知ったり、研究者が地域ごとの自然認識を比較したり、地域の人自身が忘れられつつある名前を再発見したりできる場にしたいと思っています。
土の中から、人と自然の関係を見つめ直す
この研究で最終的に問い直したいのは、ミミズそのものだけではありません。
「自然とは何なのか。そして、私たちは自然をどのように見ているのか。」
科学では、生き物を名前や分類によって整理します。しかし、人間はそれだけで自然を見ているわけではありません。色や匂い、動き、季節、暮らしの経験、地域の記憶、そして誰かから受け継いだ名前。そうしたものが重なって、一人ひとりの「自然」が形づくられています。
ミミズという、普段はあまり注目されない小さな生き物を入り口にすることで、科学と人文学、研究者と地域住民、過去と未来をつなぐことができるのではないか。
私はそう考えています。
「このミミズは何という名前ですか?」
この小さな問いから始めて、土の中に隠れている生き物だけでなく、そこに積み重なってきた人々の記憶や文化、そして人間と自然との関係まで掘り起こしていきます。
ミミズを調べることは、ミミズだけを知ることではありません。
ミミズを通して、人間が自然とどう向き合ってきたのかを知ること。
そして、これから私たちは自然とどのような関係を築いていくのかを考えること。
それが、この研究で私が明らかにしたい「未完の問い」です。
