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大正期の谷崎潤一郎におけるエキゾティシズムの「美」に関する研究

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私たちはなぜ、異国の事物に惹かれるのだろうか。

文化、建築、食、服飾――私たちの身の回りには、海外からもたらされ、日々の生活に取り入れられてきたものであふれている。海外ブランドの服を買い、珍しい輸入食品を食べ、異国の街並みに憧れて旅行する。こうした異国への憧れは、私たちの消費行動をも左右する力さえ持っている。

こうした異国の事物の魅力と最も深い関わりを持った日本の作家に、谷崎潤一郎がいる。私の研究テーマは、谷崎潤一郎を研究することを通じて、こうした異国の魅力というものが私たちにとってどのような意味を持つのかということを明らかにすることである。

まず注意したいのは、モノそれ自体の機能や品質だけでなく、「外国から来たもの」であること自体が、その魅力や価値になる場合があることだ。しかも、私たちが惹かれるのは、必ずしも自国より「進んだ」と考えられる国のものばかりではない。

このように異国のものに惹かれる気持ちのあり方を「エキゾティシズム」という。このエキゾティシズムは、ギリシア語のexōtikos(「外部の、外国の」)がもとになったフランス語のexotiqueに由来する概念である。古くは大航海時代(16世紀ごろ)にその語源となる語が使われ始め、その後19世紀に一大ブームを巻き起こした。

近代西洋におけるエキゾティシズムには、国や地域のあいだの力関係が深く関わってきた。それらは例えば、大航海時代のヨーロッパで、アジア、アフリカ、アメリカなどの「未知なる」土地の事物が注目を集めたことや、18世紀のシノワズリ(中国趣味)、トルコ趣味などの流行に見て取ることができる。単に国が違うから惹かれるのではなく、そこには植民地主義的な力関係や、自文化と異文化とのあいだに置かれた序列の認識も関わっていたのである。

その代表的な現象の一つが、19世紀後半のヨーロッパで流行した、ジャポニスムである。1850年代以降、日本の開港によって浮世絵、扇、着物、漆器、陶磁器などがヨーロッパに大量に流入し、とりわけ1867年のパリ万国博覧会などを契機として、「日本的なもの」が珍奇で魅惑的なものとして消費されるようになった。そこでは、日本についての正確な理解とは必ずしも一致しない、「異質で美しい日本」というイメージも創り上げられていった。

こうした異文化表象に伴う力関係を考えるうえで大きな影響を与えたのが、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』(1978)である。サイードは、西洋による「東洋(オリエント)」の表象が必ずしも中立的なものではなく、東洋を非合理的、後進的な「他者」として位置づける認識枠組みと密接に結びついてきたことを批判した。そしてそのような表象が、帝国主義や植民地支配とも関係していたことを明らかにした。

それでは、西洋から「エキゾティックな国」として見られていた近代日本の人々は、自分たち自身の異国への憧れをどのように捉えていたのだろうか。これが、私の研究の基礎を為す問題意識である。

明治から大正期の日本は、西洋諸国をモデルとしながら急速な近代化を進めていた。そのような日本においても、エキゾティシズムという概念は新しく、魅力的なものとして受け入れられていく。

しかし、日本におけるエキゾティシズムは、必ずしも西洋中心的なそれと同じであったわけではない。なぜなら当時の日本では、日本から見て進んでいると考えられていた西洋諸国に対する憧れも、日本から見て劣位にあると捉えられていた中国やインドをまなざす「支那趣味」や「印度趣味」も、そのどれもが広い意味での「エキゾティシズム」として扱われていたからである。

日本は、西洋から見れば「まなざされる側」でもあった。そして同時に、自らも西洋、中国、インドなどを異国として「まなざす側」に立っていたのである。

この複雑な立場を考えるにあたって重要な示唆を与えてくれるのが、「痴人の愛」、「細雪」などで知られる作家・谷崎潤一郎である。

デビュー期から大正期にかけての谷崎は、西洋的な事物に憧れた「西洋崇拝」の作家として論じられてきた。他方で、エキゾティシズム的な観点から中国、インドへも目を向けた「支那趣味」、「印度趣味」の作家としても捉えられてきた。

また谷崎自身も、日本固有の陰影の美を論じた「陰翳礼讃」(1933~1934)が戦後海外で広く注目を集めるなど、「日本的な美」を語る作家として、海外からも注目されてもきた。

つまり谷崎は、異国に憧れ、それを記述した作家であると同時に、自らが「異国的な日本」を代表する作家として海外から見られる側にもなったのである。

従来、谷崎の西洋、中国、インドへの関心は、ときに浅薄な西洋崇拝やオリエンタリズムとして批判的に評価されてきた。しかし、作品を読み直してみると、谷崎が単に西洋中心的な価値観を体現した作家なのかどうか、気になる部分も見えてくる。

例えば、清朝の中国を舞台にした作品「人魚の嘆き」(1917)。この作品では、裕福で美しい容貌を持つ中国人貴公子が、オランダから来た商人から世にも美しい人魚を買う。興味深いのは、この貴公子は、西洋を文明の進んだ国として捉えているわけではないということである。人魚を売りに来た商人を見た貴公子は、はじめ彼を「恐らく南洋の島国から、漂泊して来た、阿蘭陀人か何か」だと考え、その「乞食の如くさまよっている」挙動や、「卑しい商人根性」を蔑むような態度を示す。というのも、「亜細亜の大国に育った貴公子」は、「遥かな西の空にある欧羅巴という所を、鬼か蛇の棲む蛮界のように想像して」いたからである。

これは、中国が西洋列強から強い圧力を受けていた1917年当時の価値観から見れば、少しハッとさせられるような設定である。なぜ谷崎は、西洋がアジアを異質で未開な世界として眺めるというのではなく、中国人の側からヨーロッパを「蛮界」と見るような小説世界を作ってみせたのだろうか。

物語ではその後、地中海出身の人魚に貴公子が強く惹かれるようになる様子が描かれる。西洋人が未開な地域に魅力を見出すというのではなく、中国人が「蛮界」としての西洋に魅力を見出すという世界観を谷崎が作り出したことの意味は何なのだろうか。

もう一つ私が気になっている作品は、同じく1917年発表の「魔術師」である。この作品では、表題にもなっている魔術師が、作中で最も美しい存在であるとして描写される。そしてその魔術師は、「純粋の白人種でも、蒙古人種でも、黒人種でもな」く、「誰に対してもエキゾテイツクな魅力を有」した存在として語られる。

しかしそもそも、「誰に対してもエキゾテイツク」というのはどういうことなのだろう。そんなことはあり得るのだろうか。例えば、ヨーロッパの人々から見ればエキゾティックに映る日本の着物も、着物が日常だった時代の日本人にとっては、全くエキゾティックなものではなかっただろう。同様に、日本にとって異国的な魅力を放つ西洋の建築様式も、西洋の人々の眼から見ればなんらエキゾティックなものではないはずである。ある人にとってエキゾティックに見えるものは、必ずほかの誰かから見ると、エキゾティックではないものであるはずだ。それにもかかわらず、谷崎は「誰に対してもエキゾテイツク」な人物を描いてみせたのである。なぜ谷崎は、このような不思議なものを表現しようとしたのだろうか。

私が考えているのは、谷崎は単に異国的なものを好んだというだけではなく、そもそもエキゾティックであるとはどういうことかという問題について、思考しようとしていたのではないか、ということである。

大正期の日本人は、西洋からエキゾティックにまなざされる一方で、自分たちもまた海外に「異国らしさ」を見出そうともしていた。このような複雑な立場の中で谷崎は、西洋を進んだもの、東洋を遅れたものとする単純な二分法とはどこか異なる形で、エキゾティシズムが生み出す「美」とは何かを考えていたのではないだろうか。

私たちはなぜ「外国のもの」に憧れるのか。一見単純にも思えるこの感情は、どういったメカニズムのもとに成り立っているのだろうか。谷崎作品を通して近代日本のエキゾティシズムを研究することは、グローバル化が進む現代社会において、私たちが異文化をどのように見つめ、それらを価値づけているのかを問い直す視点にもなりうるだろう。

すべての問い

過去の歴史は未来に役に立つのか後悔をどう捉えるのか種の分類は科学のみで可能か神話は共同体に何をもたらすのか技術と政治の関係性とは人生に意味はあるのか道徳は必要なのか死をどう扱うか美しいとは何か恋は本当に盲目になるのか権威は誰が与えるのか古代も現代も悩みは同じではないか右翼政党がなぜ世界で広がっているのかAI時代の同意とはなにか