都市計画の政治思想史 近代日本におけるテクノロジーと「社会」
researchmap ↗都市計画は決して所謂技術家のみの手に一任すべきで無い。成功すべき都市計画は実に偉大なる人物の思想の産物であり、同時に又現代思潮の産物と言ふことが出来る。(関一「都市計画論」)
近代日本において、都市計画は、国家と「社会」の関係を再編する技術であった。これが私の研究における、最も重要な主張である。まず、この主張の意味するところを解説した上で、この主張を提示する意義を説明する。
1968(昭和43)年に制定された都市計画法(新法)において、都市計画は「都市の健全な発展と秩序ある整備を図るための土地利用、都市施設の整備及び市街地開発事業に関する計画」と定義されている。新法において、都市計画の範囲は「土地利用」「都市施設の整備」「市街地開発事業」の三つに限定されている。こうした明確な定義は、1919(大正8)年に制定され、新法の制定により廃止された都市計画法(旧法)には見られない。旧法では、都市計画は「交通、衛生、保安、経済等に関し永久に公共の安寧を維持し又は福利を増進するための重要施設の計画」とされていた。この「重要施設の計画」という表現の曖昧さは当時から認識されており、1931(昭和6)年に都市計画課長を務めた内務官僚の飯沼一省は、都市計画は「永久に公共の安寧を維持し福利を増進する為めの重要施設の計画でありさえすれば、之を都市計画として決定することも出来、又都市計画として執行することもできる」として、都市計画の定義が内包する不明瞭さを指摘していた。
こうした曖昧さの背景の一つに、都市計画という技術の新しさを挙げることができる。19世紀末から20世紀初頭において、日本は、産業革命による労働力需要の高まりを背景とした都市人口の急激な増加に伴う諸問題に直面していた。そして当時、一足先にこの問題に直面していた欧米において、都市計画は、この問題の解決に向けて都市空間を統御するための最先端技術であった。こうした動向をいち早くキャッチした知識人により、都市計画の制度化が進められ、旧法の制定に至っている。ただし、その導入過程において、都市計画に関する明確な共通理解があったわけではない。むしろ、それぞれの知識人は、各々が異なる知的資源にアクセスしつつ、また同時代の知的潮流の影響を受けながら、未だ輪郭が不明瞭な都市計画を自らの思想の中に位置づけることを通じて、都市計画の導入を推進していった。同時代の技術を受容する際のある種の不完全さが、当時の日本において多様な都市計画論を誕生させる要因となっていた。
その中で特に本研究が注目するのは、大正期を中心とする「社会の発見」という知的潮流の影響である。「社会の発見」とは、「社会」という概念への注目を通じた、国家中心の思想を問い直す営みである。明治期において、大日本帝国における最大の課題は、近代国家の建設による植民地化の回避であった。この課題は1905(明治38)年に日露戦争に勝利し、列強の一員となったことによって一定程度達成された。これと同時に、これまで自明視されてきた国家の存在意義を改めて問い直す思想潮流が誕生した。ここで注目されたのが、人々の生活領域を示す「社会」という用語である。人々は国家ではなく「社会」に生きる存在であり、「社会」は国家に回収しきれない自律性を持つ。こうした「社会」の存在を前提に、国家と「社会」の関係のあり方を問い直す思想潮流が「社会の発見」である。
ここで「社会」に注目した知識人の一部は、都市計画にも注目していた。より具体的に言えば、彼らは「社会」への注目を通じて国家と「社会」のあり方を再検討した上で、両者の関係の中に都市計画を位置づけた。彼らはあるべき「社会」を論じることを通じて、都市計画が実現するべき都市像を提示するとともに、それに向けて現実の「社会」を改良していく技術として都市計画を位置づけた。ただしその「社会」の内実や国家との関係のあり方、都市計画の位置づけは時期によって、あるいは論者によって異なっている。私の研究では、都市計画に様々な立場から携わった知識人を複数取り上げ、彼らの「社会」論と都市計画論に注目することを通じて、それぞれの相違点はありつつも、総じて彼らが都市計画を、国家と「社会」の関係を再編する技術として捉えていたことを明らかにする。
では私の研究は、どのような意義を持つものか。本研究は、まず、政治思想史研究に対して、都市計画を題材に「社会の発見」の射程を新たに示すものである。また、都市計画史研究に対して、「社会」への注目を通じて都市計画論の背景にあった思想を新たに研究対象として取り上げたものである。本研究は政治思想史と都市計画史の架橋を通じて、双方に新たな示唆をもたらす、分野横断的な試みである。
本研究は「圧倒的未来」をビジョンに掲げるベンチャーキャピタル、ANRIからの支援を受けることとなった。このため、自身の研究がアカデミアを超えて、「圧倒的未来」にどう貢献するかについても論じる必要があるだろう。私は、近代日本の都市計画という事例への注目を通じて、「新たなテクノロジーの到来は、国家と社会の関係の再編を通じて、人々が政治に抱くイメージを変容させる」というテーゼを提示する。このテーゼは、未来において登場するテクノロジーが、人々が思い描く政治像にどう影響するかを検討するための補助線となる。そしてそれは未来が「圧倒的」であればあるほど重要になる。
都市空間を統御するテクノロジーとして登場した都市計画だけでなく、テクノロジーの登場は、歴史上何度も人々の政治像を変容させてきた。鉄道や電信は英国の植民地帝国構想に根拠を与え、宇宙開発はユートピア論を提示して冷戦の現実から目をそらし、原子力は天然資源による対立のない平和な世界をもたらす力として期待され、インターネットは集合知によって陶冶された賢人による新たな民主主義の可能性を示唆した。新たなテクノロジーの到来に直面した人々は、そのテクノロジーを自身の思想体系の中に位置づけようと試みる。その結果、テクノロジーは、その開発者がまるで想定していなかった政治的構想や行動に、様々な形で結びついていく。同時代人としてその只中に生きながら、様々な形で広がる政治像を適切に整理し、より確からしい未来像を選び取っていく作業は、困難を極めるだろう。空前のAIブームに沸く現代の我々は、まさにその困難に直面している。
我々はテクノロジーと共に生き、テクノロジーと共に加速する。そしておそらく「圧倒的未来」はその先にある。しかしそうした「圧倒的未来」が社会に何をもたらすかを思考する際、活用できる資源は過去にしかない。我々の先人がテクノロジーとどう出会い、政治をどう構想したかを細かく解きほぐしていく必要がある。そしてそれはなるべく多様な形で蓄積されることが望ましい。なぜなら我々は現時点では、今後到来するテクノロジーがどのようなもので、それと向き合う上で参照すべき先例は何かを予測できないからである。私は、近代日本を舞台として、都市計画技術がどのように国家と「社会」を再定義していくかを明らかにする研究を行う。この研究は、テクノロジーとの共生を考えるケーススタディとして、「圧倒的未来」の解像度を高めることにも貢献したい。
